2008年06月12日

鼻歌のテンションで生きたい

少し疲れた仕事帰り。

長い髪の女性が自転車に乗って、すーっと追い越して行った。
すれ違う瞬間に、一瞬だけ彼女の鼻歌が耳をかすめる。

どんどん離れていく顔の見えない彼女の後ろ姿を見送って、なんだかとても幸せな気持ちに包まれた。

彼女は今、気分がいいんだな。どこに向かうのかな。

鼻歌は、興奮MAXのときには出てこない。疲れているときも出てこない。悲しいときも出てこない。瞑想に耽っているときも出てこない。

鼻歌を歌っているとき。
それは大概無意識で、そしてあまり深くものを考えていないけれども、ふんわりと優しい気持ちでリラックスしているときに自然と出てくるもの。

そんな鼻歌のテンションが私は好きで、デフォルトではそんな状態で生きたいと思っている。
興奮したり、悲しんだり、深く考えたりすることも大切だけれども。
デフォルト鼻歌。

私から見ると、うらやましいようなセレブ生活をしていたり、整形できるならアナタの顔でどうかひとつと指定したいような美人だったりしても、常に不満を口にする、デフォルト不満の人がいる。
食べても食べても満腹感を得られない体質と同じなのか。
自分の傷口ばかりに夢中で、周りが見えない。

幸せは人と比べるものではない。
それは一面正しく、一面間違っているように思う。
他人に認められなくとも本人が幸せならば幸せ、それぞれの幸せがあるという面では正しいと思う。
だけど、自分基準で自分だけが不幸だと思っている人は、少しは自分自身から焦点をズラし、更に大変な思いをしながら頑張って生きている人がいる周りにも目を向ける必要がある。


●家族と認められないということ
レズビアンの友人の話なのだけれど、同棲している彼女が最近、病気で入院しました。
そこで、術後の説明に同席しようとしたところ「関係ない人が手術の説明を聞いたらだめじゃないか」と怒られたらしい。
彼女も、彼女の家族も同席していいと言ってるのに出来なかったそうだ。
外で1人診断を待つ彼女はどんな気持ちだったんだろう、と思うと涙が出てきた。
彼女と一緒に聞いて、一緒に病気に立ち向かいたかっただろう。中の彼女もそれを望んでいただろう。
幸い術後は順調に回復しているようで、本当に良かったけれど。病気とともにこうした困難とも戦っていかなければならないなんて。
これはレズビアンカップルにとって、とても大きな問題のひとつ。

本当に、鼻歌ばかりの人生ではないけれど。

それでもやっぱり自分たちだけが辛いのだと塞ぎ込まないように。
鼻歌を忘れないように。心に余裕を持てるように。
感謝を忘れないように、生きて生きたい。
posted by bianca at 00:45 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
SL at 2008年06月12日 18:29
こんにちは。
そうですね。常に鼻歌デフォルトでいきたい、そう私も思ってます。
ついつい熱くなったりしちゃうんで。。。

 レズビアン、ゲイの権利は、そこに家族という大きな壁があるわけですね。家族ですよ。私たちパートナー同士は。立派に。ね、だって精神的に支え合ってるわけですよ。もちろん健康管理とか、これは身体的な支えだし、そういうことを無視してしまうわけにはいかないと私は強く思うのです!! biancaさん、これはやはり権利獲得に汗しましょうぞ!! あ、また熱くなっちゃった(笑)
ヤマサキ at 2008年06月12日 20:56
こんにちは。2回目の書き込みです。
自転車で鼻歌の件、こちらまで幸せのお裾分けを貰った感じです。ありがとうございました。『ラヴソング』の自転車に二人乗りして「甜蜜蜜」を歌うシーンも頭にうかびました。貧しいけれど幸せな日々でした。

後半は、もろに『ウーマン・ラブ・ウーマン』ですね。気の毒なことです。おまけに怒るっていうのもいやだなあ。
玉米未未 at 2008年06月12日 23:27
こんばんわぁ。
私も昔、プチ入院をし同じ経験をしました。
カノジョは入院当日一緒に付き添って来てくれ、手続き後一時間もしない内に即手術(これが、その場で初めて聞かされてビックリ。。)その時は母が遅刻をし、手術前の説明をカノジョが母の代理で聞くと言い、私からも先生に頼みましたが、却下された。
それから母が到着、私の手術中も、仲良く二人で待っていてくれましたぁ。

入院中も万が一私に何か有ったら、残されたカノジョは??葬儀に出席出来ても家族とは別の扱いかもしれないし。。こんな事考えると、家族にはカミングアウトし、普段から関係を深めておけば少しは状況が変えられるよね。

biancaさんのお友達も早く退院できるといいね。







loop at 2008年06月13日 02:01
鼻歌テンション。
いいですね、そんなリラックスした精神状態を維持したいです。

同棲しているカップルが術後説明に同席できないのは残念ですが、病院側の対応は間違いではないかも知れませんね。
というのは、異性カップルも術後説明に同席できない場合は、同性カップルも同席させない様にしないと不平等になってしまいますから。

問題の解決は、やはり同性間でも異性間と同じ自由と権利・義務と責任を獲得するしかないと思います。

でももし、その病院が異性カップルには認めてたら、果し状でも大量に送りつけてやりましょう。
biancaさんのご友人の早い回復を願って今日は寝ます。
竜々 at 2008年06月13日 10:02
初めまして。
先日友人より紹介されてから、毎回毎回biancaさんの素敵な文章を楽しく拝読させていただいておりました。
過去にもいろいろと考えさせられるエントリーなどは沢山ありましたけど、今回のお話にはとても強く共感を抱いたので、初めてコメントを寄せさせていただきます。

幸せの基準に関してもおれも本当にそう思うし、個人的に自分と同じような悩みを持っていて尚おれよりもつらい境遇に居る人たちを目の当たりにして、自分がどれだけ恵まれているかと思うばかりです。
だから今のおれが在るんだと思います。

そして同姓同士のパートナーの、そういう場面における扱われ方も。
なんというか、元々おれは恋人=ずっと一緒に居る存在、みたいな風に思っていて、仮に同姓同士の結婚が認められる様になっても、お互いに必要な存在だと想い合っていれば結婚する事もないのかなって思っている部分もあるのですが、やっぱり法的に家族と認められていることで得られる権利や立場と言うものの大きさを、こういう話に触れる度に感じるのです。

これから先、いろいろと社会も変わっていくんだろうなぁと漠然と感じつつ、自分と彼氏、2人でお互いを見失わない様に、鼻歌をふんふ〜ん♪と歌いながら歩んでいければ、、それだけでも何にも代え難い倖せなのだと忘れずに居たいと思います。
Ossie@柘榴ノ杜 at 2008年06月13日 19:09
これは「同性カップルならダメで異性カップルならOKなのか?」という次元の問題ではなく、もっと根本的な、患者の人権そのものを否定しかねない問題と解釈しました。つまり、患者自身のプライベートの問題(術後の説明)であるにも関わらず、患者の側に選択権が委ねられていないということです。

本人はおろか、その家族さえも了承しているのに同席を認めないというのは、医師の側にとって越権行為に当たるように思えてならないのですが……。 
くろうさぎ at 2008年06月13日 23:13
突然のコメントすみません。
元病院関係者ですが、私が受け持ちして
いた女性はお父様と常に一緒にいた友人?
の女性がムンテラに同席してました。
ドクターも普通に説明してました。
ときどき2人の関係に?のことはありまし
たが、1番身近という彼女を私も頼りに
して本人の希望通りにいろいろ説明して
ましたね。
病院というよりドクターしだいのとこが
あるかもしれませんね。
メインのキーマンはどうしても身内にせざ
るを得ないかもしれないですが。
Kazuccine at 2008年06月14日 11:15
幸せの価値観・・・・。なるほどなあって思いました。
言い方悪いけれど、一人不幸上手な人っていますからね。
お友達の話は、すごく痛く突き刺さりました。
パートナーシップの問題って、当事者である我々ですら気付きにくい問題がたくさんある。
上の方もおっしゃっていますが、事実婚カップルなどにも同じ問題がありますよね。
色々と家族制度の問題点とかあると思うんだけど、とにかく危急の場合に愛情や絆だけではどうしようもならないことがある・・・・何という悲しい現実だろう。
人生は鼻歌ばかりの時じゃない。
余裕を持って生きれること、あるいは大切な人に余裕を持って生きてもらえること。
理想はそれだな。
河馬 at 2008年06月14日 22:07
思わず鼻歌を歌ってしまう人生、ってとてものどかで優しい感じがします。 柔らかくてあったかい...そんな人生、最高ですね^^ 病院の対応をはじめ、保険、婚姻、同棲など、お互いが夫婦またはパートナーだと思っていても、社会的には認められないことが多々ありますよね...。 男女の夫婦なら当たり前にできることや、認められている権利が、同性同士では消え去ってしまう。 我々にとって生きにくい、日本の現代社会。 そんな中でも、パートナーと鼻歌を歌いながら過ごす未来がくることを願っています。
bianca at 2008年06月15日 00:43
>SLさん
こんにちは!私も鼻歌は理想であって、実際は熱くなったりドカンと落ち込んだりとありますよね。権利獲得に向けて頑張ってるセクシュアルマイノリティの人の中で、途中で精神的に参ってしまい全ての活動からいきなり引退してしまう、という例が多いように思います。余程辛いことなのか、周りの助けが足りなかったのか。熱くなりすぎたり根つめることの危なさを感じます。出来る範囲で「今の自分より、ちょっと頑張る」という姿勢を繰り返して上がっていければ、と思っています。

>ヤマサキさん
再度ご来苑ありがとうございます!「ラヴソング」見てなかったのですが、レビューを読んでみると面白そうですね。中国好きなら押さえておかなければという感じでした。早速借りてきます。
『ウーマン・ラブ・ウーマン』は見ましたが、このテーマもありましたね。年を取るに連れて身に染みるものです。

>玉米未未さん
こんばんは!そうそう玉米未未さんにも同じ経験があると以前お聞きしましたね。その時も恐かったけれど。手術前の説明だって、彼女が一緒に聞いてもらえるだけでどんなに落ち着けるか。大変でしたね。
友達の彼女は今日家に戻ったとメールがきました。良かった。本当に人事ではないですよね。

>loopさん
「問題の解決は、やはり同性間でも異性間と同じ自由と権利・義務と責任を獲得する」そうなんですよね。今回の友人の場合、もう長く一緒に生活し、気持ちの上では夫婦です。家族として大事な場面に立ち会えない、男女の「夫婦」なら立ち会えるのに、という悔しさがあります。もし籍を入れて無くても男性ならその場で「内縁の夫です」と言えば立ち会わせてくれたのかどうか・・・それはわからないのですが。
bianca at 2008年06月15日 01:15
>竜々さん
はじめまして竜々さん!熱烈歓gay!私も友達から竜々さんカップルのお話を伺っていたので、とてもうれしいです。ものすごくピュアな年の差ゲイカップルだと(笑)。
私も竜々さんと同じく、結婚という制度にこだわりはなかったのですが、年をとるにつれ、こうした話も多く聞かれ、現実問題として法的なことも考えるようになりました。
でも法的な束縛が何も無い分、お互いの気持ちだけで結ばれてるというのは、ある意味とても素敵なことだとも思うので、私たちも2人でお互いを見失わない様に歩んでいきたいと思います。

>Ossieさん
「患者の側に選択権が委ねられていないということ」これは本当に不思議なことですよね。そもそもなぜこうした規則が出来たか?というと、患者のプライバシー保護のためだと思うんですよね。その本人がOKを出してるのに、なぜダメなのか?私も不思議で仕方がありません。

>くろうさぎさん
熱烈歓gay!くろうさぎさん。貴重な情報をありがとうございます。そうでしたか。では、全ての病院で定められた規則ではないのですね。それとも、その同席していた女性は何か特別な手続きを取ったのでしょうか。こうした場合の病院側の立場というものも、もっと調べたいと思います。

>Kazuccineくん
一人不幸上手な人、いますね。ネット界にも多い気がします。秋葉原の事件も。
パートナーシップの問題は、若い頃はノンケの男女が結婚を意識しないように、私も全然意識していませんでしたので、最近ですね。ノンケの事実婚カップルはそれでも「内縁」として優遇される場合があります。でも同性の場合は「内縁」にすらなれません。「危急の場合に愛情や絆だけではどうしようもならないことがある」本当にその通りだと思います。

>河馬さん
若ビアンもそんな風に思って頂けるとはうれしいです。私はこの年になってやっと実感することなので。今の若ビアンたちがもっとそうしたことに目を向けてくれたら、未来も変わるかも。ってまた他力本願発言。ごめんなさい。でも、ほんとうれしいです。
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック