ネコ風「メール、誰から?」
ボイ風「え?別にいいじゃん。見ないでよ」
ネコ風「怪しい!見せてよ」
ボイ風「なんで?ヤダよ」と、ケータイを高く持ち上げる。
瞬間、ネコの両手がボイの胸を鷲掴みにして「見せてよ!!!」
ボイ「ギャー!何すんの」
真っ赤になって胸を抱え込むボイからケータイを奪って素早くチェックするネコ。
という妄想を目の前にいる女子高生2人を見ながら繰り広げた帰社途中。
病院に行った方がいいですか?
いえ、半分はノンフィクションですよ。どこからが妄想かはご想像にお任せします。
いやむしろ私の想像にお任せください。
台湾に行く前に終わらせなければならない仕事が山積みで疲れているんですわ。
ちょっとした百合妄想は私の清らかな栄養剤、許してください。
と、誰になく弁解してみたりして。
「女学生手帖」より
百合と言えば、「女学生手帖〜大正・昭和 乙女らいふ」という本を読み返していたのですが。
大正末〜昭和初期の雑誌に寄せられる『乙女の悩み相談』の半分は同性に対する恋愛?相談なんですね。それは同性愛の苦悩ではなく、例えば「ドS様は私を本当に愛しているのでしょうか?」というような相談なのです。厳密にはそれは恋愛とは区別されるエス(百合的な)関係なんでしょうが、回答者もどうしたら2人の仲が睦まじくなるか真剣に答えてくれています。
この時代は女学生の男女交際はタブーだったが故だとは思いますが。
例えば「男性とキッスをしてしまった」という悩み相談には
「キッスのような非衛生なことは婚約者の間でもやってはいけません。活動写真やその他に影響された外国人の猿真似にも等しい愚かな事です」
と切捨て、今読むと逆に刺激的な回答が並んでいます。
そんな感じで、軍隊で一時的なゲイ関係が発生するように、大正・昭和初期にはエスも流行ったのだと思いますが。当時にもガチはいたはずだし、同性と地に足の付いた関係を人知れず築き通した人もいたであろうねと思いを馳せつつ。
現代の私はと言うと、これは妄想ではなくリアルなんですが(多分)、最近初めてスピンドルオフとやらに行きました。私はマイペースな性格故か、SNSなどネット上での密なつきあいには疎く、blogもTwitterも好きなときに好きなことを自分勝手に書き散らかすだけなので、スピンドルもたまに立ち上げては書き込む程度。更にバージョンアップして機能が増えてからは用途がわからなくなっていたのですが、周りではご近所オフなどを楽しんでらっしゃるご様子。
それで先日、友人からK-POP好きスピンドルオフがあるからおいでーと全くスピンドル関係ない感じで直接メールで誘われ参加させてもらいました。しかしみんなスピンドルを持っているから立ち上げると「あ、私はこれでアナタはそれで」とすぐにGPSで繋がって面白いのねぇ。
エス的妄想に耽りがちな私は、大正・昭和初期からタイムトリップした気持ちで現代の“Lガールズ”の交流を眩しく感じましたとさ。
今も昔も変わらぬ乙女の悩み