突然ですが、ワタクシ結婚します。うふっ。キモ。
紅葉が美しく、空気も澄んで、ちょっぴりおセンチな気分になった私は、となりにいたドSに
「おばあちゃんになってもこうやって2人で散歩したいね〜」
なんて口走っていました。
そうしたらドSも
「私も今、同じこと思っていたよ」
なんて言うじゃないですか。
瞬間、私の頭の中でチャペルの音が大音量で鳴り響きました。
ということで。
来年、ドSと交際10周年(執念って変換されて焦ったわ)に、結婚式します。
来たいと思ってくれる人は来てください。
友達や親や同僚も祝ってくれる人は来てくれたらうれしい。
ありがたいことに、レズ界には手先の器用な人や色々な職種の人がいて、
手伝ってやるよと言ってくだすってるので、そこらの式よりかは楽しいかと思いますわ。
祝福というのは自ら要求するものでなく、他人が勝手にするものだから
「さぁ!私達を祝福してごらんなさい!」
という結婚式なるものは、確かに恥ずかしい。
だけど、私は同性の結婚式に出たいとずっと思っていました。
それはただの結婚式ではなく、こうした生き方を自分の大切な人たちに認めてもらうことも意味しているから。
ゆうさんのblogで「よく、日本で(同性婚が)認められるのはいつになるかな〜とか言ってる人がいて、愕然とします」と書かれているのを読んで愕然としました(笑)。
私のことだわ。
ゆうさんが書かれてるのは、式のことではなく制度のことなんだけども。
ゆうさんは以下のようにも言っています。
「自分の権利は自分で主張して守らないと、誰も何もやってくれません。基本的にはそーゆーもんだと思います。」
そうだ。祝福をただ待っていても、誰も何もやってくれませんわ。
結婚式を挙げることに対して批判的な同性愛者もいるだろう。
うわべだけノンケの真似ごとだと言う人もいるだろう。
だけどこうした結婚式も存在し、セクシュアリティに関係なく祝ってくれる人、賛同してくれる人がいる、ということが目に見えれば、希望をもてるカップルもいると思う。
最近、同性ということが理由で別れてしまうカップルの話を聞くたびに悲しくなる。
日本には激しいホモフォビアが少ないから、日常的に権利を主張しなくとも、普通に同性の恋人と楽しく過ごせるカップルも多い(地域差などはあると思うが)。
でも、いざ同棲しようとしたり、病気になったり、親の介護や老後など、人生の大切な場面で、相手との関係が認められていないものだと痛感する。
そんなとき、例え法律で守られていなくとも、周りが理解のある人たちに囲まれているかいないかでは大きく違うと思う。
そんな意味でも、結婚式を挙げる事には意味があるのではないかという結論に至ったわけであります。
ノリもあるけど。
まだ来年のことなんで何も具体的には考えていませんが、レズ婚を楽しんでやろうじゃないか、というひと連絡ください。
いい加減、この画像載せるの何回目だろ